クライアントアラート
ESGガバナンスとコンプライアンス規制の動向 ―東証ガバナンスコード改訂の源流 である米国制度の発展、気候変動と取締役の多様性を題材に
May 13, 2021
新井敏之[1]
環境、社会問題、ガバナンス及び人権(environmental, social and governance; いわゆるESG)への対応が上場会社にとってますます重要な問題となってきている。しかし、それに伴い会社執行部や取締役会に具体的なアクションが求められていることは十分に理解されていない。会社はESGリスクに対応して行動することが必要であり、お題目としてESGを語ることでは足りず、今後このリスクはもっと深刻になる。もっとも、事態は簡単ではない。まず、ESGコンプライアンス基準やリスクの内容について、議論はまさに現在進行形で発展しており、しかも、投資家や規制官庁などこの問題に関心を持つステークホルダーの見解によってその内容が一定しない。このような流動的状況で、ESGコンプライアンスの具体的内容を把握し、対応していくのは容易なことではない。しかし、米国でのESGガバナンス規制の動向が世界での対応の下敷きになっていることは事実であって、その具体的内容は、まずは適切なディスクロージャーを行うことから始まるといってよい。東京証券取引所のコーポレートガバナンスコードの改訂もこの潮流の一つの顕われである。本稿ではESGの中心的論点といえる、気候変動と取締役の多様性を題材に米国での現状を念頭にこの問題を考察してみたい。その際には、その解答が米国外の公開会社にどう妥当するかという視点を忘れないようにしたい。
以上の問題意識に基づき、会社の指導層はESGコンプライアンスについて①戦略を構築し、②その実践をモニターし、そして③内部統制体制を整備することから、行動を始めるべきといえよう。本稿で紹介するように現状において具体的な行動指標を設定し、それに基づき流動的に事態の発展を検証しながらその計画を調整することで無駄のない対応が可能となる。
ESGが利益などの投資指標とは無関係であると考えるのは時代遅れである。ESGコンプライアンスのリスクは現時点で既に可視的なものであり、その違背には具体的な罰則や不利益が伴うし、その傾向は加速している。例えば規制官庁による捜査や、罰則の賦課、証券取引所の指導、上場要件への影響、そしてより広いステークホルダーに対する評判などである。
ESGといった場合の中心的課題は現在、気候変動と取締役会の多様性である。米国や諸外国が気候変動についての評価、開示、施策を重視するのは、この問題が人類とコミュニティ、公共の健康、世界経済に与える影響を考えると当然と言えよう。バイデン政権が気候変動を米国の国家規模での優先課題と掲げるのはかかる事情による。それを受けて今般SECは気候とESGのタスクフォース(Climate and ESG Task Force) を発足し、捜査とエンフォースメントの基盤を整えたところである。
また取締役会の多様性についても、証券取引所及び政府は活発である。ナスダックは(東京証券取引所も)は取締役の多様性に向けた開示をガイドラインとして示しており、米国議会では『多様性によるコーポレートガバナンス振興法』案(Improving Corporate Governance Through Diversity Act)が再提出される。それによれば上場会社、取締役会や経営執行部の性別、人種、退役軍人の経歴、等の情報を開示することが要求される。これらの動きは経営陣の多様性があるほど、より良い業績やガバナンスが達成されるとの認識によって促進されている。
ヨーロッパでも同様にESGガバナンス規制の動きが活発で、今年後半には『EU会社デューディリジェンスと会社の責任に関する指令』(EU Directive on Corporate Due Diligence and Corporate Accountability)が制定される予定である。ここで想定されるESGは倫理的な事業慣行や、強制労働の排除などの広い外延を持つ。そこで発生する罰則の重要性も看過できない。
まとめると、会社の指導層はその会社と業種に見合ったESG指標を策定し、それを管理、実行するための施策を開始すべき時期に来ている。その中で今後の規制の進展を見ながら実務の調整を行うことになる。
バイデン政権の気候変動と人材の多様性についての立場
バイデン政権発足と同時に気候変動が同政権のトッププライオリティであることが表明され、政府のあらゆる資源を投入してその是正を目指すとされている。
バイデン大統領は人材の多様性についても同様の強調をしている。ハリス副大統領は2019年提出の多様性によるコーポレートガバナンス振興法案に関与していたが、今年同法案の再提出をしている。その中心課題が経営層の多様性の開示要件である。国民が多様であるように、その産物である会社も同様に多様であるべきだという主張である。
かかる多様性の配慮はバイデン政権による以下の政府機関での重要ポストの人選にも既に表れている。SEC, CFTC (Commodity Futures Trading Commission), Federal Reserve, Department of the Treasury, Department of Labor及びEnvironmental Protection Agency等における人事である。
SEC(証券取引委員会)
SECの目下のESG上の課題は、ESGディスクロージャ ー内容の拡大と既存の報告義務の再検討である。
SECの現行の規則では取締役選任において、①人材の多様性が考慮されるか、②されるとしてどう考慮されるかを開示することとされており、更に③会社の事業について重要な人材確保について、その発掘、育成、維持の見地から説明することとされる。更により具体的に多様性の内容として、④性別、人種、その他のマイノリティの区別がどのように選任において考慮されるかの記述を要求すべきであるとの議論がなされている。
気候変動についても、同様に活発な動きがみられる。もっとも注目に値するのは、SECエンフォースメント部門の中に『気候とESGのタスクフォース』を設置したことである。その目的はESG上の不正行為を調査し、是正することである。当面の活動としては、ディスロージャーの不正と、実際との乖離を指摘するための捜査と是正行為になるものと予想されている。
SECは気候変動について投資家からどのようなディスクロージャーが適切かの意見を募集している。その目的意識は気候変動について継続的、比較可能で、信頼性のある企業情報をどのように開示させるかという点にある。気候変動の開示の分野でSECは世界の証券市場の指導的役割を担うという決意を表明している。
もっともSECに委員の中にはディスクロージャーを画一的に要求することに伴う費用的な増加を懸念する声もある。しかし、基準を明確にしない開示要求にも同様の、またはそれ以上の費用的な問題(=非能率)が随伴することは間違いない。
米国の証券取引所のESG開示要件
ナスダックとNYSEは現状ではESG開示を要求していないが、このディスクロージャーにどう対応するかは多くの証券取引所の懸案事項である。ナスダックはESG開示についてガイドラインを制定している世界の43証券取引所の一つであり、この数は2015年から200%増加している。
ナスダック
ナスダックは国連とのパートナーシッププログラムである『サステイナブルな証券取引所に向けた運動グループ』(Sustainable Stock Exchanges Initiative)の一員で、長期継続的なサステイナブル投資、環境、社会、ガバナンスに即した、向上したディスクロージャーと業務執行を促進することを目標としている。
ナスダックは現状でESG開示を要求しているわけではないが、2019年5月にESG開示ガイドラインを制定し、その見地を踏まえた実務の執行や開示、投資家との会話の促進を目指している。またESG開示プラットフォームを開設して、情報取得、監督、開示の過程を簡明化した。
ナスダックは取締役会の多様性についても行動的である。2020年12月1日、ナスダックはSECに対して多様性を満たす最少人数をその会員企業に義務付ける提案を提出した。これが承認されれば、会員企業は透明性のある多様性に関するディスクロージャーを義務付けられる。さらに最低2名の多様性を満たす取締役を選任することを求められ、またはそれをしないこと(考えにくいが)についての説明責任を負わされる(但し外国会社、小規模会社について一定の例外が認められる。)。その背景には、取締役の多様性が確保されると、コーポレートガバナンスの向上と業績に好影響があるという知見・認識が存在する。
反面、この動きに対し、多様性を義務化することで柔軟かつ適任の人選ができなくなるという批判もある。とはいえガバナンスと業績に良い影響があるという前提から、多様性を支持する動きが支配的である。2021年夏頃にはSECはこの提案を承認するかの判断を下すと予想されている。
ニューヨーク証券取引所(NYSE)
NYSEもナスダック同様『サステイナブルな証券取引所に向けた運動グループ』の一員である。現状のところ、ESGディスクロージャーについてのガイドラインは制定していないが、ディスクロージャーに役立つ統一資料管理室を設けて、その促進をしている。さら『取締役会の多様性を促進するためのNYSEボード諮問機関』(NYSE Board Advisory Council to Advance Board Diversity)という補助機関を設立し、そこで多様性を満たす経営幹部候補を会員企業に紹介するなどの試みがなされつつある。
委任状勧誘助言会社
プロキシー助言会社の中でも指導的地位にあるISS やGlass Lewisは2021年のシーズンから、これまで以上に、多様な取締役やESGを助言理念に掲げるようになった。多様性についてはここ数年来の傾向であったが、例えばISSは今年からは人種的多様性が見られない会社についてはそれを特定し、来年度からはそれを理由にその指名委員会の会長の人選に反対または投票留保することを推薦するとしている。性別の多様性についてもISSは2021年からより厳格な対応をするとしている。Glass Lewisも例えば女性取締役が2名いない場合は、その会社の指名委員会の会長の選任について反対の推薦をし、更に取締役候補の多様性の具体的内容(例えば、人種、性別、退役軍人かなど)についてプロキシー書面を精査すると述べている。
結論:会社はESGコンプライアンスのためにいかに準備すべきか
現時点までに米国においてはESG規制の骨格は明らかになりつつあり(とりわけディスクロージャーに関して)、それを等閑視することで官庁に摘発され、上場要件に抵触し、またさまざまなステークホルダーに不評を買うという可能性が刻々と高まってきた。規制が現状で任意であることをたのんで、行動を起こさないことはすでに大きなリスク要因である。それを回避するために、ともあれまず会社の指導層はその会社と業種に見合ったESG指標を策定し、それを管理、実行するための施策(KPI設定, ESG関連の内部規則制定、ESGコミュニケーション計画の策定等)を実行すべき時期に来ている。その中で今後の規制の進展を見ながら行動プランに調整を加えるという手順が現実的であろう。
現状では強制力がないガイドライン等の施策に依拠しないことが、経営層の経営手法の正当性に疑問を投げかけ、株価に悪影響を与え、消費者を疎ませ、アクティビスト株主の運動のターゲットにされる事態は現実のものとなりつつある。
以上
[1] この論考はTara Giunta, Morgan Miller & Caroline Roberts: The ESG Corporate Governance Imperative (Paul Hastings May 2021)の内容に依拠しており、感謝する。本論考と合わせて、是非英文版で読んでいただければと思う。但し本稿の意見・見解については最終的には筆者のものであることを注記しておきたい。